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マジック(手品)のタネが分かるということ


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マジック(手品)が不思議でなくなったのは大きく2つの経験がきっかけだった.1つは森博嗣氏の小説『幻惑の死と使途』を読んだこと,もう一つは目的と手段を意識したことである.この2つに触れたことで,今では大半のマジックのタネが分かるようになった.


『幻惑の死と使途』は魔術師に関連した殺人事件が起こる物語である.この小説を読んだことで,「マジックには最先端の科学技術が使われていない」という先入観から抜け出せた.マジックのタネが紹介されている本には,たいてい数百年前の科学技術で実現可能なトリックばかりが書かれているため,いつしか現代のマジックは古い科学技術の創意工夫であるという先入観があった.けれど,現代のマジックには最先端の科学技術が使われているのは当然で,たとえば手首や足首などをロボットで再現するなどが当たり前のように行われている.


また,マジックには”不思議を聴衆に見せる”という目的があり,そのための手段が”マジックのタネ”である.注意すべきことは,目的は一つであるが手段は複数存在し得るということである.「マジックのタネは一つであり,しかもシンプルである」と思い込んでいたのだが,目的が達成できればタネはどんなものでもよいのだと,ある時に理解した.昔,マジシャンが行ったマジックのタネを芸能人が解き明かすという番組が行われていたのだが,その内容の中で芸能人がマジックの目的を達成したけれどマジシャンが「そのタネは私が行ったタネとは違うからダメだ」と言った.そんな不条理をふと思い出す.


科学技術の発展によって,マジックのタネはどんどん増えていく.そのため,不思議が不思議でなくなっていく.けれど,それはまた新しい不思議を生みだしていくため,マジックはその不思議に挑戦して絶えず進化していくのだろうと感じる.科学と魔術が交差するとき,物語は始まるのだ.


幻惑の死と使途 (講談社文庫)

幻惑の死と使途 (講談社文庫)