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『有害都市』表現の自由が規制される…そんな社会になりそうですよね


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表現の自由ってなんでしょうね。


そんな疑問を考えさせられる漫画が筒井哲也さんの『有害都市』です。全2巻。


舞台は2020年の東京オリンピックが目前となった日本。不適切と判断されたものを排斥する運動が活発になり始めます。漫画家の主人公はそんな状況下でゾンビをテーマにしたようなホラー漫画を連載し始めます。


この物語では健全図書法が登場します。有害図書の指定基準を全国一律にし、有害図書を全国の書店から一掃するための法案です。有害図書の選定は著名人・学識経験者から構成される「有識者会議」によって行われます。


創作物の規制を考えた時、規制するところを間違えると大変なことになりそうです。創作物は、それを「作る人」と「見る人」がいます。作る人→創作物→見る人の流れを考えた時、作る人→創作物に規制をかけると窮屈になりそうです。


作る人→創作物への規制

このフローに規制をかけるのはどうかと思います。日本国憲法第21条の「表現の自由」で保証されているのはここだと思っています。


創作物の規制に関する議論がされると「有害と判定された創作物を作った人=悪」みたいな空気を感じることがあります。こういう空気が「有害な創作物を作る人は創作しないで欲しい」という考えを生み出し、ひいては「有害な創作物は作らないで欲しい」という考えに行き着くんじゃないかと思います。


『有害都市』では作る人を糾弾する空気を強く感じました。有害図書を作った人を有害作家と認定し、そして有害作家に対して「矯正プログラム」受講という行政処分が下される…表現の自由を抑圧するような制裁に問題を感じます。

創作物→見る人への規制

このフローに関しては規制をかけても良いと個人的には思います。「成長を阻害する可能性があるから」という理由ではなくて、ある条件を満たさないと閲覧できないという権限を明確にするためです。


重要度の高い情報は、それを適切に利用できる人にのみ開示できるようにすべきという要求が社会にはあると思っています。例えば、企業の重要な内部情報は外に流出すると株価に影響を与える可能性があるので、全従業員には知らせず責任を取れる人だけが知っているべきです。


ただ、創作物に関しては「何が重要か?」を示すのが難しいので、それが規制のやりにくさにつながっているように思います。創作物に関しては「有害 / 無害」が重要であるように思いますが、その線引きが難しいので、規制はやりにくそうです。


『有害都市』では13人の代表者による有識者会議で創作物が有害かどうかの規制を判断をしています。例えば、「高校生の妹が実の兄に恋慕の感情を抱く、ヒロインが13歳相当に見える → 不健全だ!」という具合にです。こんな判断で規制をかけて良いのだろうか…そんな課題を残していきました。