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ちょっとチリにいってくる その2


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2009年11月21日.


いよいよチリに行く日が来た.僕とT君の2人が一緒に行く.飛行機の経路は名古屋(日本)→デトロイト(アメリカ)→アトランタ(アメリカ)→サンティアゴ(チリ).海外旅行初心者に2回の乗り換えというハードルがあったりする.それに加えて,まだ乗り越えなければならないハードルがあった.


先生:
「実験の物品を持って行ってね.空港でいろいろ聞かれると思うけど,なんとか英語で乗りきってね」


今まで実験物品などを運んだことないから,どの空港でどのように聞かれるか分からない.あと,デトロイトからアトランタへの乗り換えは1時間15分しかないから,なんとか頑張ってね.


そんなことを笑顔で言われた.率直な感想を言うと,意味が分からない.


そんなわけで,実験物品が入ったバッグを持って,僕はセントレアにいた.T君も同様に実験物品を持ち込んでいる.まず僕らは空港のカウンタらしき場所でその荷物を預け,その後はチェックインをすませてぶらぶらしていた.けれど,しばらくすると,なんか僕の名前を呼ぶアナウンスが聞こえた.アナウンスで指定された場所へ行くと,そこに警備員っぽい人と僕の預け荷物があって,その人に「この荷物の中身何?」って聞かれた.「実験するための道具なんだぜ」と答えたら了承を得た.なんか先行きが不安になってきた.


それから飛行機への搭乗も終え,約12時間後にデトロイトへと到着した.約30分ほど早く到着したため,アトランタ行きの飛行機の乗り換え時間に少し余裕ができた.制限時間は約1時間45分.まずは英語での入国審査,次は預け荷物を受け取って指示された場所まで運搬,そして手荷物チェックを通過.それら一連の流れを終えたとき,僕らは確実に焦っていた.


出発まであと10分じゃん.


やばい,確実にやばい.そんなやばい状況で,次はどこへ行けば良いのか分からなかった.とりあえず,右往左往していると案内係の人がいた.助けを求めると,「○○ゲートだよ」と言われた.そのゲートへ向かって,周りからの視線をおおいに浴びながら,全力で走った.しかし,デトロイト空港は思った以上に広く,なかなかそのゲートまでたどり着けない.足が痙攣する感覚を覚え始めたころにようやくそのゲートが見えてきたが,そのゲートを見ても,係員の人がいないどころか搭乗ゲートまで閉じている.時計を見ると,時刻は出発の3分前だった.


オワタ


そんな3文字が頭の中に漂った.出発時刻と搭乗可能時刻が同じという希望を持って全力で疾走したのだが,その希望は目の前の現実に打ち砕かれた.全身から力が抜けていくのが分かる.そう,僕らはアメリカのデトロイトという州でロストしたのだ.


そんな絶望感で満ちている僕らのもとへ,係員らしき人が近づいてきて来た.わずかに残った希望を胸に,僕らはカタコトの英語をしゃべりながらパスポートと搭乗チケットをみせると,その人は何かしらの事務手続きをしてくださって,なんか搭乗できた.えっ,と思ったけれど,なんか搭乗できたのだった.


よく分からないけれど,僕らが乗り込んだ後にも人が続けて乗り込んできたりで,結局,デトロイトからアトランタ行きの飛行機は予定よりも30分遅れて出発した.出発時刻が遅れたのだろうか?ともかく,たった一つの真実は,僕らがなんとかロストせずに済んだということだった.


その後,その飛行機は2時間ほどのフライトを終えてアトランタ空港へと着いた.そして,そこで6時間ほど時間をつぶしたあと,無事サンティアゴ行きの飛行機に乗れた.そこから約10時間後,セントレアから換算すると約29時間後,ようやくサンティアゴの空港へと着いた.預け荷物のチェックはそこで行われたが,思っていたよりも簡単に事は済んだ.そして,なんとかサンティアゴへと足を踏み入れることに成功したのだった.


つづく.